「優生学」を受けついだロックフェラー医学研究所①
ロックフェラー財団、つまりロックフェラー医学研究所は、バイエル社からアスピリンを供与してもらい、ドイツ医療ギルドから譲り受けてアメリカの製薬メーカーとなった「メルク・カンパニー」を通じて独占販売、莫大な利益をあげてきた。その見返りなのか、ロックフェラー財団は、積極的にナチス・ドイツに資金援助をしてきた。そのナチス・ドイツの科学技術をクルップ社とともに支えたのが、総合化学メーカー「IG・ファルベン」だった。このIG・ファルベンは、アウシュビッツ収容所で使用された毒ガス(チクロンB)を開発、製造する。IG・ファルベンは、ナチス敗戦後、アメリカ陸軍によって接収、毒ガス兵器、細菌兵器、人体実験などの研究は、すべて陸軍化学兵器開発拠点「フォート・デトリック」へと送られることになる。
そのフォード・デトリックでは何が行われたか。
大麻禁止法を施行したリチャード・ニクソン大統領は、1969年、その就任演説で「がんとの戦い」を打ち出した。「アポロ計画」で国民から絶大な支持を得たケネディ前大統領を真似して「1976年までにがんを克服」と公約した。その結果、莫大な国家予算が当然、医薬品業界、医学界へと流れこんでくる。そして、その研究の最前線こそがフォード・デトリックであった。
なぜなら抗がん剤は、もともと毒ガス開発の副産物だったからである。最初の抗がん剤は、マスタードガスなのだ。ネズミにマスタードガスの効果実験していた際、ガス使用後に、ネズミのがんが縮小していたことが発見されて「抗がん剤」が生まれた。
古歩道│ロックフェラー研①
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