言霊百神|識の原因原律⑤

扨て、是等八神の神名からチイキミシリヒニの八父韻の意義を的確に探り出そうとすることは前述の如くまことに困難である。要は神代の皇室の口伝による秘宝として継承されて来た言霊の八父韻に、後から是等の神名を宛てて、その文字と概念によって漠然とながらそれを肯(うなず)くことが出来るように編纂したものの如くであって、此の八父韻に就いてばかりでなく、「記紀」の特に「神代巻」の神名はすべて言霊麻邇とその操作法を示し現わすための、禅の所謂「指月の指」としての意義と役目があるだけのものである。神道の実体である言霊が先ず存して、概念的な神名は後から作られたものである。この順序を逆にして神名の訓古と意味の常識的な詮索だけから神道に入ろうとする時、指月の指であることを無視して真如の実体を把えることはほとんど不可能に終わる。
然らば言霊を指示するこうした神名は後世「記紀」編纂の時に全部改めて創作されたものであるかと云うと、必ずしもそうではないのであって、蘇我入鹿が焼いたと云われる『天皇記』、『国記』などや、今日残存している『竹内文献』や、『ウエツフミ』等の如き太古時代の皇統譜、古文献の中から、言霊の表現によく当嵌まるような天皇名や人名を選び出して、「記紀」の神名として用いたものであることが推測される。殊に『竹内文献』と「記紀」「神代巻」とでは編纂の目的と立場を全然異にして居り、前者が純粋の歴史的事実の記録であり、後者は国体原理を編んであるのだが、双方に多くの共通の神名が順序を異にして用いられてある理由が今日まで未解決であった。元来太古神代の天皇の謚名や人名は「言霊布斗麻邇」の意義に従って組み立てられた所のものであるから、この事を逆にその天皇名や人名を借りて来て元の言霊原理を指示する概念的咒文として用いることは可能な事であり、然も適切なことであるわけである。

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