言霊百神|識の原因原律⑥

宇宙は初め渾沌であり暗黒である。これに物質の振動としての音波、光波、電磁波があり、精神には同じく振動である霊波、念波としての意識の活動がある。物と云わず心と云わずすべて振動を輻射するものを光り、すなわち霊馳りと云う。その高御産巣日すなわち伊邪那岐と伊邪那美である物心両義の霊馳りが感応同交して現象が現われる。これが生命の活動である。生命がなければ現象は現れることがない。「生命は人の光なりき。光は暗黒(くらき)に照る。而して暗黒は之を悟らざりき。」(『新約聖書』「ヨハネ福音書」第一章)とある。
八父韻は現象である『法華経』で云う諸法の実相が顕れる契機(きっかけ)である。それは未だ物でもなく心でもなく、その物と心、主体(アオウエイ)と客体(ワヲウヱヰ)との間を渡し、結び付けて、其処に刹那の間に、森羅万象を現出せしめるところの光の原律、色の元素であり、識を生ずる根本の縁である所の知性の基盤をなすものである。
それは後述する伊邪那岐神(主体)と伊邪那美神(客体)の間を渡して結んで、その御子である諸法の実相、すなわち事実現象を生むところの宇宙生命の律(リズム)であるから、これを「天浮橋」と云う。仏教ではこれを彼岸(吾、主体)から彼岸(汝、彼、客体)に渡す「石橋」と云い、キリスト教では「我れ雲の中に虹を起さん、これ我と汝等との間の限りなき生命の契約の徴なり」(『旧約聖書』「創世記」第9章)とあるところのものであり、『易』ではこれを乾兌離巽坎艮坤(天沢火雷風水山地)の八卦として示している。
「淡路島通う千鳥の鳴く声に」と云う古歌がある。淡とは吾と我である。主客両者が対立交渉し感応同交する時、その間に絶えず霊の火花が鳥のように飛び交い、往復する。この火花を千鳥と云う、生命の道の鳥である。この霊の火花を独逸の神秘哲学ではFunkと云う。この火花の原律が八父韻である。