言霊百神│創造の序曲⑧

天沼矛(あめのぬぼこ)④
禅ではまたこの能力を「扶けては断橋の水を過ぎ、伴っては無月の村に帰る。」(『無門関』「第四十四則」)などと云う。すなわち芭蕉の拄杖子(しゅじょうす)である。人間が人間の道を間違いなく行くことが出来るための天与の杖である。此の世の中には頼りとするに足るもの、恃みとすべきものが絶無である時、実はこの天与の杖こそ唯一つの最も頼りとすべく、頼むに足る所のものであって、宗教的に云うならばこの杖こそ阿弥陀仏の本願の力に当る。「念仏まうすのみぞ、すえとをりたる大慈悲心」(『歎異抄』「第四条」)と親鸞が云うところのものである。
キリスト教ではこれを呼んで「アロンの杖」と云う。禅で云う拄杖子と同じ言葉を期せずしてキリスト教でも用いている。アロンは国王モーゼの祭司長としての神器であるこの杖を用いてイスラエルの民をシナイの荒野から「蜜と乳」の地に導いた。拄杖子はすなわち剣である。節刀であり指揮刀である。『古事記』後段には「投げ棄つる御杖に成りませる神の名は衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)」とある。精しくはその段で説明する。剣には八拳剣、九拳剣、十拳剣がある。八、九、十の数は事物の空相実相を截断する数理である。

2024年4月
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