言霊百神│創造の序曲⑨

天浮橋に立たして
前述、八父韻の意義として説いた如く実相を生じる根拠原律である。吾と我(汝)、主体と客体、此岸と彼岸を渡す橋である。言霊として把握すればヒチシキミリイニの八韻、色相の原素に現わせば「紅、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」の八色、『易』の卦としては「乾兌離震巽坎艮坤」の八律、形式的な道徳律として示せば「格物、致知、誠心、誠意、修身、斉家、治国、平天下」の『大学』の八条目となり、また仏教の八正道となる。
天浮橋は『般若心経』に説かれる色の原律である。然し「空中無色(識)」であって、本来の空すなわち宇宙自体に色はなく、色を色とする原因はない。その原因原律は宇宙を認識する主体側の人間の知的性能としてのみ存在する。人間の知性が万有の色相を識別するから色相が現れるのであって、万有それ自体は『般若心経』の云う通り「五蘊皆空」である。その無色の空の中に美しい虹の色彩を描き出す知性の活らきが父韻である。この時宇宙を実相界と観れば、万有は絢爛として色相を呈示している。すなわち諸法を実相として見る時、虹である天浮橋は紅から紫に至る綾として現れるのである。すなわちこれがキリスト教に於けるエホバの虹であり、仏説の「石橋(しゃっきょう)」である。此の橋を渡れば向かいの文殊の浄土である。吾と我を渡して行き交うが故に「淡路島通ふ千鳥」と云う。「立たして」とはこの八律の両端に対立すること。伊邪那岐美二神はその両極である。