言霊百神│天津磐境⑨

あらゆる宗教の教義行道、すべての哲学の理論が正しいか否かを批判する根拠は、それを人間性の全局に即して鑑みて妥当であるか否かを調べることにある。その人間性に対する妥当性が由来する所は後天的な社会契約や、国家権力の強要強制でもあるところのイデオロギーや、法律道徳や、或いはプラグマティズム(実際主義)などに則る価値の批判商量に存するのではなくして、生命の本具する先天性にまで遡源して、その全局の鏡に照らして、此処に批判の根拠を置かねばならぬ。この故に多宝仏とは人間の先天性自体であり、多宝仏塔とは先天性とその原理の展開でなければならない。
然もこの仏は「久遠滅度の多宝仏」と云われるからには、この原理の内容は遠い昔、嘗て人類に識られていたものであるが、その後久しく記憶伝承が途絶えたと云うわけである。『易』ではこの原理の数的形態と象徴的解説として「繋辞伝」を教え、仏教ではその存在と意義の概説と絵画的象徴(曼荼羅)のみを伝え、或いは天台や日蓮の如く「一念三千」として数と概念のみを教え、更に西洋哲学にあっては経験の帰納の上に改めてこれを把握しようと努力している経過を鑑みる時、まことに多宝仏が太古の或る時期以来今日に及ぶまで久遠滅度の仏であった所以が了解される。

2024年3月
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