扨(さ)て、実相の創造である岐美二神の御子生みの業は最初から完全な御子を生むことが出来たわけではなくて、その道程には失敗もあったことが述べられている。と云うのは原理の生成を説くために何も失敗の経験を挿まなくともよいわけであるが、その失敗に終わった方法を説くことによって人類の思惟認識の上に生ずる錯誤欠陥を指摘し、批評し、且つ訓誡するためのものである。且つそれと同時に「布斗麻邇言霊」を用いない思惟の方法が世界の何処に行われ。且つそれが如何なる意義を有するかと云う事を一通り明らかにして置くためである。
吾が身は成り成りて、成り合はざるところ(処)一ト処(一処)あ(在)り
成るを前述の如く鳴るの隠語と知る時、「言霊布斗麻邇」の経典として『古事記』を解明し得る。アオウエ(イ)の母音の一つ一つを発音してみると、同じ音が何処までも続いて変化する事がない。すなわちこれは仏教で云う梵音、大自然の音であり、その音は開いたままで合うことがないから成り合わざる音である。この音の姿を成り合わぬ女陰にたとえて咒示してあるのである。