子(、)水蛭子(ひるこ)を生みたまひき
ヒルコは霊流子の義。蛭のように骨(霊音)がないこと。霊が流れて実相が現われないことである。或いはまた蛭に血を吸い取られて道(ち)がなくなってしまうことでもある。それは母音を先に言挙げして、母音ばかりに拘泥するから、父韻のリズムが現れず、子音にならぬと云う事である。
一般に仏教と云わず、キリスト教と云わず、或いは儒教と云わず、すべての小乗的な従来の宗教が実在の体認であるところの魂の救われとか、宿業よりの解脱とか、空も悟りとか云うことだけを求めて、それに拘泥し、それ丈けが人生や宗教の終局であるとして満足して、それ以上の道を極めようとしない事が水蛭子の心である。『日本書紀』ではこの水蛭子を「已に三歳になるまで、脚猶(あしなほ)し立たず。」と説明している。三歳(みとせ)は「天地人(アイウ)」の三才をもじったものである。所謂三才思想である儒教を『日本書紀』の編者が批評し揶揄した言葉である。
言霊百神│創造の失敗⑧
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
« 5月 | ||||||
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |