言霊百神│創造の失敗⑨

けれどもこの様な心境も人間には有り得ることであり、また世界歴史の過程に於て、像法末法時代の宗教の樹(た)て方として実際に用いられて来た所であるから、隠処(くみど)におこして一応思想検討の材料として取り上げられたわけである。「故(か)れ、これ(蛭児)を天磐櫲樟船(あめのいはくすふね)に載せて、順風(かぜのまにまに)順流(むずのまにまに)放ち棄てたまひき」(『日本書紀』)とあるから、この三才あるいは五行、五大の原理はその昔、その当時風のまにまに全世界に教伝されたわけである。今日、仏教、儒教、キリスト教、或いはギリシア神話等の根底に五行、五大、五大天使の教義が存するのはこの故である。
この水蛭子の状態が天之岩戸閉鎖、仏陀入涅槃以後今日に及ぶ全東洋三千年間の思想的経過の姿であった。老子はこの事を「大道廃れて仁義あり」と云った。すなわち像法末法の時代である。入涅槃は魂の眠りである。「哀れなるかな、長眠(じょうめん)の子(し)。…酷睡は覚者を嘲る。」(『般若心経秘鍵』)と弘法は説いたが、入涅槃の時代は眠って極楽の夢を見ていればよい時期であった。この意味に於て像末二千年間に於ける仏教の本意は『法華経』にはなくて、むしろ『阿弥陀経』以下の「浄土三部経」にあったと云うことが出来る。すなわち自力聖道の道よりも念仏欣求(ねんぶつこんぐ)の浄土門(じょうどもん)にあったと云ってもよい。親鸞は末法仏教の第一人者である。

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