言霊百神│創造の失敗⑫

布斗麻邇(ふとまに)にト(卜相)(うら)へての(詔)りたまひつらく
フトは二十であり、マニは宇宙の道理(ロゴス)、真実すなわち「マ」を第二(邇、近、似)次的に言葉を以て把握表現したものと云うことである。二十はその道理すなわち言語の原素である麻邇の基礎数の一つであって、それは五十音図のタ行、カ行、サ行、ハ行またはヤ行、マ行、ラ行、ナ行の合計二十音のことである。五十音言霊を要約する時その半分の二十音(母音半母音を除く)で代表される。これを「真男鹿(まおしか)の肩骨」と云う。肩骨は片霊音である。麻と云う字が用いられてあるのは後述する「天津太祝詞五十音図(あまつふとのりとごじゅうおんず)」がアタカマハラナヤサの順序のアからサまでに配列されているからであって、これを朝庭とも云う。布斗麻邇とは言語の法則として表現把握された生命の知慧の原理である。
マニは梵語の摩尼であり、これをマナ(摩那)とも云う。真奈(真名)は先天である天名から発現し、この真奈(真言)を湧出するところの頭脳の思索判断の軸枢を「天之真奈井(あまのまない)」と云う。真奈の知性は摩那識であり、キリスト教にあってはMannaである。モーゼがこれを以てイスラエルの民を養ったと云われるマンナは肉体の食物ではない、「エホバ(神)の口より出る言(ことば)によりて生る」(『旧約聖書』「申命記」第八章)と明記されている。すなわちそれは剣(つるぎ)の統覚作用によって顕われる純粋の判断の所産であり知性の要素である。後述するが伊邪那岐美二神を一柱として見た時、これを伊邪那岐大神と云う。「日の少宮(霊の湧く宮)に留まり棲みたまう」(『日本書紀』)布斗麻邇の神である。布斗麻邇は初め天津神の許に在ったが、三貴子を生んだ後は伊邪那岐大神が布斗麻邇の神となる。すなわち久遠滅度の多宝仏である。

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