言霊百神│しめ縄⑥

その善しと見給うことを自覚と云い自証と云う。自覚と自証を経なければその事象は真実事実ではない。「成る程」と云う自覚自証を経た真実が諸法実相であって、その実相の正体は名であり言葉である。辟支仏と云うのは真奈井から真奈が自由自在に出て来るだけの往路の片道だけの仏である。その出て来たものの悉くを判断、整理、総合し得て「善し」と見た時が初めて無上正覚であり、真仏陀であるのである。『古事記』こそ「教菩薩法、仏所護念」の正体である。
一念の循環すなわち言霊の循環を図表して理解の一助とする。
今まで天之御中主神から大宜都比売神までの四十九神の存在と生成を説いたのだが、この生成はほんの一瞬間に於ける自己内部の出来事であって、それは進化論的な長い年代に亘る事柄でもなければ、また天文学的な広大な宇宙に於ける事態などでもない。瞬間に生滅する「一念」に三千の内容があると説いたのは天台であるが、神道ではその内容を五十と決定する。それは天名(先天)→真奈(理念)→神名(言語)→真名→天名の順序で刹那に回転循環する精神的サイクルである。