言霊百神│黄泉国③

日の本の日は言霊のことであって、四方津国の月読の世界の哲学宗教には言霊の道がない。魔尼とかMannaとか、あるいは白法とか、「言辞の相」とか、卍字などと云う言葉だけは残しているが、布斗麻邇の実体がない。すなわち神即言葉である言語がないから、事物の実相を把握表現するために或いは哲学的な概念を用いたり、仏教典や『老経』などのように比喩や象徴を用いたり、また特に支那では象形を基礎とする漢字を用いたりして真実真理を現わそうとする。
然しそうした方法では言葉即ロゴスと云う真奈の簡潔直截な表現が出来ないから、すべて薄ぼんやりとしか真実を示すことが出来ず、夜間に月の光で物を見る如くであるから月夜見の世界と云う。これに対して高天原の日の本では言葉そのものが直接に宇宙の原理であって、その「言霊の幸倍へ」によって麻邇を活用して行くから、天壌無窮、万世一系に何処まで行っても言葉すなわち道であることを逸脱することがない。従って概念的な哲学の必要がない。すなわち「惟神言挙げせぬ国」(『万葉集』)である。