言霊百神│黄泉国⑤

黄泉とは黄(きざ)す(萌・兆・芽・牙・徴)泉と云うことである。凡そ人類の文化はすべて四方津国に萌芽し成長して、そして日の本高天原に於て、高天原の内容として摂取され完成される。故にこれをまた予母都国とも書く、文化の予めの母の都と云うことである。
伊邪那岐命は何故その妻に会うためにわざわざ黄泉国に出かけて行ったのだろう。宗教の行道の上からはかくの如き意図を煩悩と云う。煩悩は揚棄され解脱されなければならない。それでなければその煩悩に拘束されて生命の菩提の自覚を得て人間らしい自由な生活を送ることが出来ないが、然しそのためには煩悩の世界を一応経験して煩悩がまことに煩悩であることを知って来なければならない。
悪はそれが悪であることを人間が自覚せざる限り存在し、それを人間が自覚する為に存在するのである。初め岐美二神が道理とはならない神である水蛭子や淡島を生んだ時のように、尾羽張の神剣を既に把握しながら猶お伊邪那岐命は、云わばその若い情熱が動くままに、煩悩の世界であり、道のない未完成の渾沌世界である黄泉国に赴いたわけであった。