ついでに申し添えたい事がある。『日本書紀』一書の本文でない「註」の部分に「或いは所謂泉津平坂とは、復た別に処所あるにあらす、但だ死るに臨んで気絶ゆる際、是を謂ふか」という一文がある。これは全く「記紀」の真義を弁えない者の蛇足である。黄泉を仏教で云う死後の世界である黄泉の意味に解釈しようとした何者かが挿入した臆説に過ぎない。
初めに「記紀」の作成に当り黄泉と云う文字を借りて四方津(予母都)と云う意味に宛てたのだが、これを仏教的に考えようとする傾向が強くなって理解の障害となった。我々は『竹内文献』に「ヨモツクニ、アフスタン(アフガニスタン)」「ヨモツクニ、アラビア」等々とあることに接して初めて黄泉国の本来に義を知り得たわけであった。神代歴史の知識を背景として「言霊布斗麻邇」の教科書として読むのでなければ「記紀」の「神代巻」は釈(と)き得ない。
言霊百神│ヨブ記⑥
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