言霊百神│禊祓(一)③

以上のことをも一度、宗教的実践の上から繰返して説いてみよう。前回で述べた如く十拳剣を後手に振りながら渾沌、未組織の自他未剖の黄泉国の内容を一つ一つ刻銘に判断否定する禅の所謂「無字」の修練を積んだ時、最後にその従前の自己にあらざる自己、自己以前の自己の世界が開ける。この自己をあらしめる自己、自己を生む自己を預言者モーゼは I am that Iam.(吾=神とは我=自己をあらしめる者なり)と悟ったと『聖書』は教える。これが黄泉国から再び元の高天原の清浄界に帰った時の伊邪那岐命の姿であって、それはキリスト教なり仏教なりの宗教的な修練、自己反省、懺悔を積んで初めて魂の救われ、信心の決定を得た時の消息と同じものである。