私の気功体験③

私の世界救世教という団体に加入しましたが、私はペンダントを付けずに浄霊を始めました。他人より浄霊を受けることも経験しました。精神の働きが肉体と云う自分に暗示をかける、理屈は自己催眠でしっていますがリアル差があり、なかなか先に進みません。その点浄霊は最初より他己催眠が中心、また宗教という理論が本来マルキストという私には精神の自由という点で新しい感覚、目が開ける感じがしました。もちろん、今までの自分を否定する自分を簡単には認めることができません。
なにせ私は高校よりマルクス主義を本格的に教える学校におり、大学まで唯物史観、唯物論哲学を正しいという教育を受け、それを実践していたのですからそれなりに自信のようなものもありました。もちろん今の立場でもマルクス主義=科学的社会主義がまったく間違っていたなどとも思っていません。正しいか間違いかの最終判断は実践により明らかにするしか方法はありません。そういう意味ではマルキストの私をいまでも間違ってはいかなったという自分も存在します。特に貧しい人の立場に立つという行為は一貫していると思います。
多分、これからも金持ちの立場に立つことはできないし、それが私の人生の教訓だと思っています。なにせ集団としての人格と個人としての人格が分裂していることが自然だと思いこまされているのですから正しい判断などできるはずがありません。

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