私が日本語学校を作りたいと思ったのはそれからです。私は社会科の教員免許を持っていますが、教えられると思った事はありません。受験用のテクニックなら教えられるかもしれませんが、人格の成長など私には無理だと思っていたからです。塾の教員は理系で教えていました。それは高校に入るまでは文系より理系の方が得意だったからです。文系ができるようになったのは社会に興味を持つようになった高校からです。本を読む習慣もその頃身に付けました。積読もよくしていました。
バイトのお金はほとんど本になっていました。また知り合いと政治談議をしたのもその頃です。ただ当時は社会を階級として見る立場でした。これだと歴史を闘争の歴史と見る立場、今の私とは異なります。今の私は共存共栄で、進歩を闘争と見ますがあくまで議論であり実際には実践により結果を出し、判断し自分が誤っていれば受け入れます。受け入れるとは責任を取ることも含めて受け入れることです。争いは論争であって戦争にはさせないことがこれからのモラルです。戦争は社会の損失以外の何物でもありません。社会の損失とは物と人の両方を失いかつ人の憎しみを生みます。また戦争になるとどちらが正しいとの判断が難しくなります。戦争は理性・感情の複合体で実践されるからです。感情が優先されれば善悪の判断などできず殺し合いがおこなわれるのです。戦争をするくらいなら処分したほうがまだ良いです。処分する時には次の事を考えて有効利用を含めおこなうのです。そうすれば社会損失も少なく、禍根を残すこともありません。
私の気功体験㉑
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