精神と物質、どちらが先かにより唯物論と観念論の陣営に分かれた。人は言葉により観念の働きを受け入れなければそもそも思考が出来ない仕組みとなっている。宇宙の始原をエネルギーに持ってくることからするとエネルギー=観念とするなら観念によって物質が作られていると言ってもあながち間違いとは言えないだろう。以前の自分がいやそれは唯物論だと言っている自分が顔を出す。マルクスの資本論においても社会的必要労働時間という観念を認めることによって資本論の体系は作られている。日本での宇野学派のマルクス解釈は流通過程を強調することによって体系化をおこなっている。理論のための理論ではなくその理論によって何が解明され、誰の為の利益となるのかを明らかとなるのかを解明されなければマルクスの精神を受け継いだこととはならないだろう。マルクスは労働者階級の利益を最大限尊重した立場であったと考える。労働者階級の解放とは人類の解放と同じであると考える。階級理論は共同体の解放、意識的人間の確立と同じ意味だと考える。労働者階級の解放が実現した場合最終的に階級自体もなくなるものと考える。