鏡餅

 日本には、正月に床の間に上下二段のお供え餅を飾ってお祝いする風習があります。これを鏡餅と呼んでいます。神社では正月に限らずご神前に鏡餅をお供えしてあるところもあるようです。神社では鏡餅の他に酒・米・塩・魚・菜っ葉…等々をご神前にお供えします。鏡餅をはじめ、これ等のお供えものをするのは何のためでしょうか。
 まず常識的に考えますと、人間の日々の労働の結果授かった日常の糧を神様に捧げて、生きることの喜びに対する感謝の意を表わすのだということになりましょう。「神様はお供え物をいつ、どうやって食べるの」と子供が母親に尋ねます。母親の答えは「神様は人の真心の香りを召し上がるんだよ」でした。この答を聞いて「うまいことをいうものだ」と感心したことを覚えています。
 この常識的な考えはまことにもっともなことですが、ただそればかりでは理解することが出来ない点もあります。人は餅を食べます。その感謝としてお餅を神様に供えることは理解できますが、丸い形の鏡餅としてお供えするは何故なのか、と疑問を持つことも出来るわけです。
 人が神様に対する態度には「斎く」と「拝む」の二種類があります。感謝の心を込めて色々な食物を神様にお供えするという考えは、「拝む」人間の態度から出た答えであることは確かです。神様は拝み、その御利益みに対する感謝のお供えものというわけです。
 しかしそれだけでは説明のつかないものについては、人間の真の本質は神であるという「斎く」立場から、言い換えますと、言霊の立場から解釈しなければならなくなります。「斎く」ことが常識であった太古の時代が、後世に残した教訓と伝統が役に立ちます。
 鏡餅は上下段に丸い餅が重ねられています。上の段は、人間の心を構成している五十個の言霊を表わします。そして下の段は、その五十個の言霊を操作運用する五十の方法を示しているのです。五十個の言霊を順序正しくの操作をしますと、その結果として人間の社会的行為の基準となる三つの精神構造が出来ます。「古事記」はこれら三つの構造を「三貴子」と呼んでいます。神様の名前でいいますと天照大神、月読命、須佐男命です。それぞれ政治・道徳・宗教・芸術・科学・産業という三つの活動の行動の基準となる精神構造を表わしています。
 基準となる構造を鏡と呼びます。餅は「百道」の意味を示せます。言霊の数五十、その運用法五十.経百の原理、道です。百の原理で作られた鏡の意味で鏡餅をご神前に飾ります。社殿の奥にいる神様とは、実はこの鏡餅で示される百の道なんだよ、と参拝者に教えているというわけです。

2019年10月
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