机・筆

 個人の経験知による先入観を捨てて、広い宇宙の心に立ち返って、その眼で物事を観察しますと、物事の真実の姿を見る事ができます。その姿に、心の要素である五十音言霊を選んで二個・三個と結びつけ名前をつけますと、真実の姿そのものの名前が出来ます。日本人の先祖はそうやって物事の名前を付けて行ったのです。言霊の原理が日本語の原典である所以です。
 この章では古代から変わらない事物の名前の語源について二、三説明することに致します。
 その上に物を載せたり、その上で字や絵を書く家具を机と呼びます。この机の語源を説明しました。机の語源は「斎き据え」です。斎くの語源は五作るであることは己に説明しました。自分の心の中に人間の五つの根本性能の宇宙であるウオアエイの五つの母音をしっかりと区別して、理解するとことでした。昔の人は大勢で物事の対処法を考える場合、全部が車座に坐り、その真ん中に榊その他の木を根から切ったものを立て、人々はそれを中心にして事態の対処法が分かることを念じたものでした。立てた木を神籬と言います。霊諸招の意が詰まった言葉です。同じ座に集まった人の心に中の思い(霊)の全部(諸)をその木の宿らせ(招)、その上で和の精神からする解決の方法が人々の心の浮かんで来る事を念ずる方法です。それによって全部の人が見出せると考えていたのでした。
 神籬の木は適当な高さの台の上に載せられました。この台に神籬を斎き、そして中央に据える、ということ、即ち「斎き据え」から、それが短く詰って「つくえ」の言葉が出来ました。
 文字を書く道具に筆があります。耳慣れない言い方でしょうが、この筆の語源は「ふたみて」です。漢字を当てますと二見手となります。二見手とはどんな意味でしょうか。その意味が現代的に余り哲学的であるのに驚かされるのです。
 二見手の二とは私と貴方または私と対象物の二つのことを指します。書かれた文字(文章)を見ますと、文章に書かれた対象の人物や品物の様子が理解されます。と同時にその対象についていた当人がでんな思いでそれを書いたか、も文章から察知されます。
 筆で文字を書くことによって、書く主体と書かれる客体の双方の姿がはっきり見ることが出来る、ということから「二見手」それが詰って「ふで」となったのであります。筆も語源は以上でお分かり頂けたでしょうか。

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