三種の神器

 最近、日本の皇室は以前よりは国民に近い存在に感じられるようになりました。それでも天皇の即位式とか大嘗祭、皇太子の立太子式などの皇室の儀式をテレビで見ますと、国民生活の中では見慣れない形式や道具類が多いようです。これらの儀式が遠い昔からの皇室の伝統に従って行われていることはお分かりのことでしょうが、その一つ一つの意味内容については、一般の国民はもちろん、その筋の専門家や国学者の方々にも理解されていない点が多いように見受けられます。
 今から二千年ほど前、道徳と政治(実践知)の法則である言霊の原理を世の中の表面から隠してしまった時、その原理が永久に忘れられてしまうことを心配して、色々な建造物や宮中の儀式の形式に表徴として遺す政策がとられたのでした。天皇即位式、大嘗祭、皇太子の立太子式などの形式もその方針によって作られたものであります。
 ですから、二千年前と同じ姿で、今、完全に復活した言霊の原理の立場から、これら宮中の伝統儀式を見ますと、その形式が意味する内容は手に取るように明らかに理解することが出来るのです。今から、比較的説明の簡単なものを取り上げてみましょう。
 三種の神器とは、先の第二次世界大戦時までは天皇のいらっしゃる所には必ずお側に置かれることに定められた、天皇の位の証の宝物でありました。その三つとは剣、勾玉、鏡であります。
 三つの宝物を固有名詞で呼びますと、「草薙剣」・「八坂勾玉」・「八咫鏡」です。
 中国の古書に「形而上を道といい、形而下を器という」という文章があります。「精神的な法則を道と呼び、それを表徴して作られた物体を器というのだ」という意味です。

剣…草薙剣
 古代の日本は両刃でした。それを太刀または剣といいます。剣は精神の何を表わしているのでしょうか。剣によって表わされるのは、人間が生れた時から授かっている判断力のことなのです。物事を理解しようとする場合、言い換えますと物事を分かろうとする場合、そのものを分析すなわち分けなければなりません。この分析する・分ける働きを表徴する器物を太刀と呼びます。太刀は「断ち」に通じます。

勾玉…八坂勾玉
 三種の神器の第二は「八坂の勾玉」です。勾玉とは丸い玉ではなく、玉の尾が生えたように巴形になったものをいいます。八坂の勾玉は玉の真ん中に穴を開け、幾つもの玉を集めて紐を通して数珠(ロザリオ)にしたのです。勾玉とは、またそれを数珠にしたことは、何を表徴しているのでしょうか。
 一瞬一瞬千差万別に移り変わる人間の複雑な心の現象を、草薙剣と表徴される人間の判断力で切り、分析していきますと、最終的には人間の心というものは五十個の要素から成り立っていることが分かってきました。そのよれぞれにアイウエオ五十音の単音を当てはめて言霊と呼びました。それをまた麻邇とも呼びます。五十個の要素のうち、現象としては決して現れることのない心の先天構造の要素が十七個、現象と現れた最小の後天の要素三十三個であり、合計で五十個というわけです。人に心をいくら分析しても、この五十個より多くも少なくもなり得ません。

鏡…八咫鏡
 三種の神器の第三番目は「八咫鏡」であります。鏡というのは姿や顔を映して見る道具です。精神的な内容として考えますと、心の善悪・正邪・美醜や物事の正誤・当否等々をたちどころに判定する基準になるものを意味しています。八咫鏡の咫はアタといって、太古の尺度の名前です。アタとは人間の人差し指と中指を開いた広さだそうです。この咫を八つ集めた大きさの八辺形の鏡という意味です。
 三種の神器の第一である剣には、精神的にいうと二つの働き(相刃)があることをお話しました。その一つは分析(太刀)であり、もう一つは総合(連気)であります。人間の心をとことん断ち切って分析していき、もうこれ以上切ることの出来ない所まで来た時、究極の要素として五十個の言霊を手にしました。一つ一つの要素の内容よその名前をはっきりと把握することが出来ました。そのそれぞれを表わしたのが、三種の神器の第二の勾玉でありました。
 次に分析して得た五十個の言霊を剣(連気)の力で総合していくことになります。この総合の過程の操作にもちょうど五十の手段があって、ついに人間精神として理想の組織を持った構造図が完成することになります。この五十音の言霊で組織された人間精神の実践知の構造を昔の人は「天津太祝詞(音図)」と呼びました。
 さらにこの構造を創造意志の働きである八つの父韻を中心に並べ替えて八角形の構造に収めたもの、それが八咫鏡と呼ばれるものです。