気功鍛錬と精・気・神②

(1)精・気・神の概念およびその相互関係
②気
 気とは、体内に流れる栄養に富んだ精微物質であり、また、生命を維持する活動エネルギーでもある。その重要性は、次のような言葉で表現される。「気は、人の根本である。根が絶えれば、即ち茎葉も枯れる」(『難経』八難)、「人の生は、気の聚(あつま)りである。聚れば即ち生き、散ずれば即ち死ぬ」、「天下を通じて一気のみ」(『荘子』知北游篇)。
 気は体内のどこにあるかによって、その作用や性質が異なるため、さまざまな名称がつけられている。たとえば『類経』には、次のような多くの呼び方がみられる。
「真気、すなわち元気のこと。天の気は鼻によって受け、喉がこれを主る。水穀の気は口より受け、喉がこれを主る。未生の初に集まるものを、先天の気という。生まれて後に成るものを、後天の気という。陽分にある気を陽気といい、陰分にある気を陰気という。表にある気を衛気といい、中焦にある気を営気という。脾にあるものは充気、胃にあるものは胃気、上焦にある気を宗気、中焦にあるものは中気、下焦にあるものは元陰・元陽の気という」。
 このように気の名称は限りなくあるが、大きく概括すれば主なものはイカの四種である。
ⅰ元気(原気、生気、真気)…先天的に受けるもので、腎および命門に貯蔵されている。ただし後天の精気によって絶えず滋養されてはじめて、その作用をおこすことができる。「真気は、天より受け、穀気とともに身を充たす者である」(『霊枢』刺節真邪篇)。
ⅱ宗気…飲食物から化生した水穀の気と、吸入した大自然の気が結合してできるもの。胸中に集積し、呼吸を司り、発声を助ける。「宗気は胸中に積り、喉嚨に出て、心脈を貫き、しかして呼吸を行らす」(『霊枢』邪客篇)。
 宗気はされに、血液の運行を促進する作用を持っている。「宗気が下がらなければ、脈中の血は凝結して留止する」(『霊枢』刺節真邪篇)。
ⅲ営気…水穀の精微より化生した精気で、脾胃で作られた後、肺に送られ、脈管中に入り全身を営養する。「穀物が胃に入り、消化されて肺に伝与される。五臓六腑は皆この気を受ける。その気の内で、精なるもの(エキス)が営である。…営は脈中にあり…営は身を周り、休むことなく運行する」(『霊枢』営衛生成篇)
ⅳ衛気…これも営気と同じく、水穀の精微の化生したものである。「清なるものが営である。濁なるもの衛である。営は脈中にあって流行し、衛気は脈外にあって運行する」(『霊枢』営衛生成篇)
 衛気の性質は慓疾にして滑利、すなわち、いたるところに遊走するのが特徴であり、脈管にとらわれることなく脈の外を運行する。ただし全身に散布する能力は、肺の宣散作用によるところが大きく、それを指して『中蔵経』では、「衛は上(上焦、肺の部位を指す)より出ず」といっている。衛気の作用は『霊枢』本臓篇にあるとおりである。「衛気は分肉を温め、皮膚を充し、腠理を肥し、開闢を司る所以の者である」つまりこの気は体表を保衛し、外邪に抵抗する作用をもつので衛気といわれるのである。
 この他にも気の作用として、『素問』挙痛論には、「百病は皆気より生ず」という言葉がみられる。張景岳も次のように述べている。「気の作用が及ばないところはなく、いったん不調が生ずれば必ず病となる。気の不調が外表にあれば六気の侵入を受け、体内にあれば九気が損耗する。それによっておこる病は、虚・実・寒・熱のいずれかであり、それ以上の変態を名状する必要はない。その本を求めるならば、すなわち気の一字に尽きるのである。およそ気に不調を生じた所にこそ、病の本であるのである」。これはさらに広い範囲から、気を理解したものといえよう。病理の上からみると、気には一般に虚損・鬱滞・叛逆の病理変化が考えられている。