気功の方法…気の練養②

(2)姿勢の種類およびその発展
 姿勢には、立つ、坐る、臥(ね)る、歩くの四つがあり、古人はこれを「四威儀」といった。練功の姿勢もつまるところ、坐る、臥る、立つ、歩くの四つに分けられる。しかし、この四種類は鍛錬の実際にもとづき、多くの具体的な姿勢法となる。そのなかの坐る、臥す、立つがかなり広く用いられており、歩く姿勢はきわめて少ない。これは『隋書』経籍志の中に収められいる「導引図」三巻の、立一、坐一、臥一にも反映されている。坐式がもっとも広く用いられる姿勢である。わが国では、漢代以前はゴザを敷いて坐っていた。つまり、坐るときは両膝を地に着け、足の裏は上を向けて身体をその上に置いた(日本式の正座)。これと跪(膝まずく)とは違う。跪とは両膝を地に着けるが、股関節は伸ばす。
 後漢のはじめに、仏教がわが国に伝来してから、あぐらをかくようになった。あぐらは仏教では、結跏趺坐(けっかふざ)という。趺は跗に同じであり、足の甲を指す。跏の原字は加であり、加趺とは両足を交叉して坐ることである。加趺坐をまた全加趺と半加趺に分ける。楊中一は『指道真詮』の中で『釈氏要覧』を引用して「全加趺は如来の坐り方であり、半加趺は菩薩の坐り方である」という。これがよくいわれる双盤(両あぐら)、単盤(片あぐら)である。
 あぐらには、さらに降魔と吉祥の分け方もある。『一切経音義』巻八の記載によると、全加趺にも二種類ある。一つは降魔坐であり、まず右足を左内股の上で組んでから、左足を右内股の上に組む。これは左足は右足の上にあり、手もまた左が上である。禅宗では多くこの坐り方を伝える。もう一つは吉祥坐で、まず左足を右内股の上に組んでから、右足を左内股の上に組む。両足裏は内股の上で上を向いており、手も右が左の上にあり、あぐらの上で静かに上を向いている。密教ではこの坐り方を蓮花坐ともいう。密教では加趺半坐を吉祥坐ともいう。『大智度論』巻七では「いろいろな坐法の中で、結加趺坐がもっとも安定し、疲れにくい、これは坐禅をする人の坐り方である」と書いてある。
 後漢の後期になると、北方の少数民族の家具である胡床が漢族の住む地域に伝わり、これが日常使われる椅子に変化した。人々はゴザを離れ、椅子に坐る習慣に改まり、姿勢を正して腰かけるようになった。
 姿勢の臥式は仰臥位(あおむけ)がもともと一般的であり、身を正してあおむけに寝るのがこれである。側臥位は宋朝の初め頃の崋山の道士陳榑から始まったと認められている。彼の著作『寿命論』の中で、「疲れたとき脇を下に横になり、両腿を自然に伸ばし、一方の手は血を蓋うようにし、もう一つの手は天を支えるようにする」と、述べているからである。しかし、実際に陶弘景の『養性延命録』の中で、「人が眠るときに、膝を曲げて横に臥ると、気力が充実する」と強調しているのが最初fらる。『天仙道戒須知』の中で臥式の姿勢について詳しく述べている。その説は、「臥式にも二つの方法があり、希夷睡と環陽睡である。希夷とは陳榑祖師が皇帝から賜った号であり、環陽とは、茅老君の号であり、伯子老君のことであって、太上老君(老子の尊称)のことではない。その睡法にはそれぞれ長所がある。
 仰臥位の枕の高さについては、『王子喬導引法』の中に次のように指摘している。「病が喉中、胸中にあるものは枕の高さを七寸とする。病が心臓より下にあるものは四寸とし、病が臍より下にあるものは枕を取り去る」とあり、参考になる。
 立式は『素問』上古天真論の中で「独立守神」とあるのがもっとも早い記載である。『諸病源候論』の中では倚壁(壁にもたれる)、立身、蹲踞(しゃがむ)の三種がある。