気功の方法…意念の鍛錬②

(2)古代では意念鍛錬をどのように考えていたか
 意念鍛錬の問題とは、意念をどのように用いるかである。『素問』上古天真論の中の「恬惔虚無、精神内守」は意念鍛錬を説いたものである。清代の張志聡の『素問集注』には「恬は安静を意味し、惔は、素朴の意味である。虚無とは心を虚しくして物事に抱泥しない意である」とある。徐霊胎の『内経註釈』では、「恬惔にして神を養い虚無にして志を養う」と記されている。これが意念鍛錬で求めらるものである。精神内守とは、注意力を身体に集中させることであり、返観内照とも呼ばれる。『仙佛合宗』の中では、「返観内照とは、外を捨てた真意でその内なるものをしっかりみつめること」と指摘している。現在、一般的には意守という。
①…体内のどこを意守するか
 意念を身体のある部分に集中させる場合、どこを意守するかが問題であり、その範囲はかなり広いといわなければならない。このことを、明代の曹士珩の『保生秘要』では「いつも精神内守を行い、崑崙から湧泉まで、全身の前後の竅の中で、適切なものを一つ選んで、しっかり意守することができれば、病気は全快する」と指摘している。
 普代初期の『黄庭経』の中で初めて、「丹田」が出てくる。たとえば「気は紫を回り抱いて丹田に入る」「盧(鼻)を通じて呼吸し気を丹田に入れる」とある。つづいて『抱朴子』の中では丹田を三つに分けている。「臍下二寸内に入ったところが明堂であり、二寸行ったところが洞房であり、三寸行ったところが上丹田である」。しかし、上中下三丹田のはっきりした部位は、いろいろな説があり一致していない。上丹田を例にあげると、眉間の玄関という説もあれば、両眼の間の祖竅という説もあり、また両乳頭の間の膻中も上丹田であるという説もある。膻中を中丹田とする者もいる。一般的には、下丹田を腹部におくが、両陰(肛門と性器)の間の会陰におく者もあり、甚だしきは足底の湧泉を下丹田とする者もある。腹部の中丹田には十個のツボがあるという説や、腹部には前丹田。後丹田、内丹田があるという説などがある。
 三丹田のなかでとくに大事なのは下丹田であり、これは臍中あるいは臍の下とする意見が大部分である。臍中とする者には、高濂の『遵生八牋』があるが、その中に『心書』を引用して次のようにいっている。「下丹田は、別名を玄関といい、前は臍に対しており、後は腎に対しており、臍と腎の中間に位置し、それらは連なって環のようになっている。その幅は一寸三分あり、その周囲には八つの竅がある」。清代の徐霊胎の『医学源流論』元気存亡論の中では次のように認識している。元気の「根本の所在は、『道経』のいう丹田であり、『難経』のいう命悶であり、『内経』のいう七節の旁らである。その中には、小さな中心がある」。これらは丹田と命悶とを結びつけた説である。臍下の間と主張する者には、臍の下一寸と考えた者がいる。たとえば天台宗の創始者、智顗は自分で著した『修習止観坐禅法要』の中で次のように言っている。「臍の下一寸、憂陀那といい、これをまた、丹田という。もしここを意守して意を分散せず、時間をかければ多くの病気を治すことができる」。臍の下一寸三分とする説には『紅爐点雪』の「臍の下一寸三分を指す」がある。下丹田を臍下二寸とする説には、李時珍『奇経八脈考』がある。
 一般的には、丹田は人体の元気を貯蔵する所であると考えられている。『医学源流論』の中で、「元気とは、一体どのようなものであるのか、五臓には五臓の真精があり、これは元気から派生したものである。しかもその根源の所在は道教のいう丹田である。…陰陽の開閉はここで行われ、呼吸の出入りもここと関連がある。火が無くても身全体を暖めることができ、水が無くても五臓をすべて潤すことができる。元気がわずかに残っていれば、生気は亡くなることはなく、すべては元気に依存している」とある。そのためここを意守すれば、人体の元気を増強できる。しかし、道教の内丹術で、丹田を修練結丹の所としているのは、別の意味である。
 丹田の名称は、中国の医学書で現存する最も古い鍼灸経絡穴位(ツボ)資料の集大成である『鍼灸甲乙経』の中にみられる。著書の皇甫謐は葛洪よりやや古い時代の人である。皇甫謐は著作の中で、「石悶は三焦の募穴であり、利機、精露、丹田、命悶ともいい、閉の下二寸にある」と書いている。我々下丹田の部位に固執することなく、各人の練功による体得によって決定すべきであると考える。これはまさに清代の周学霆が脈学専門書『三指揮』の中で「臍下を丹田とするが、その部位は固定していず、分寸で計ることはできない」というとおりである。