西洋医学の歴史│古代

古代の医学
 西洋でも、医術と魔術とは昔から堅く結びついていたのですが、ギリシャ時代に、医学の父と言われるヒポクラテスが、健康と病気を自然の現象として観察して、医術を魔法から引き離した。当時のエンペドクレスやアリストテレスなどの哲学者たちが万物を構成するものとして四つの要素を唱えていましたので、ヒポクラテスも、人間を四種の体液、すなわち血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁からなるとし、病気の原因はこの四種の体液の量的つりあいが乱れることにあるとしました。これを「体液病理説」といいます。
 治療法はわりあい簡単で、食事を適当にし、新鮮な空気を吸い、生活をととのえて、睡眠・休息・運動を適度におこなわせる。薬としては、下剤、利尿剤、発泡剤などを単純な形で用いています。われわれの身体には健康に復そうとする自然の力があり、医師はそれを助けるのを任務とするのだとヒポクラテスは言っている。
 ローマ時代には、ネロの侍医アンドロマコスが万能の解毒薬という「テイアカ」をつくりました。これは六〇種類以上のものを合わせる処方で、ヨーロッパでは十七世紀まで最も大事な薬としてつかわれ、中国や日本にも伝わってきたそうですが、複雑だから効果があるという、今日でも薬の対する考え方としてこれは生きている。
 次に有名なのは、ヒポクラテスと並んで古代医学の二大巨匠とされているガレノスで、彼は、古代の医学を集大成し、みずからも多くの価値ある実験を行い、医学を系統立てました。実験生理学の創始者としてガレノスの学説は十数世紀間にわたってヨーロッパやアラビアでドクマとして権威を持っていました。たいへんな自信家の彼は、自分の診断はすべて当たり、自分の取り扱った病人はすべて治ったと本に書き、そのため彼の生理学説はすべて正しいということになってしまったのです。たとえば、血液はすべて肝で生じ、静脈の中を往きつ戻りつするというガレノスの考え方は、十七世紀まで真実とされ、ウィリアム・ハーヴェイの血液循環説が出るまでの千数百年間にわたって一般に信じられていました。
 また、ローマ時代には、公衆衛生や医事制度が大いに進歩し、給水設備、医師の免許制度ができ、病院も作られたそうです。

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