気功に関する問題│放松

放松に関する問題
(1)松と放松の理解
「松」は緊張しないことを指す。
「放松」とは、一種の要求であり、これは緊張して、充実した状態に対応していわれるものである。練功者、とくに病人は練功中に、緊張状態があらわれる。
このため、練功中は、放松(リラックス)して緊張状態を解除しなければならない。緊張状態が解除された体得こそ「松」である。
(2)なぜ放松の鍛錬を強調するか
①疾病の面からみた放松の重要性
第一は、疾病の面からで、気功の治療できる疾病は、大部分は中医の「内傷病」、つまり七情(喜、怒、憂、思、悲、恐、驚)により起ころものである。これらの精神情緒活動が正常な生理活動の範囲を超える場合、身体の緊張状態をひきおこし、体内の陰陽、血気、臓腑の機能を失調させ、疾病がおころのである。
②技の面からみた放松の重要性
二番目は、功夫(技)の面からで、放松をマスターしいてはじめて、その他の功法もうまく練功でき、マスターできる。たちえば放松と入静の関係からいえば、放松してはじめて入静できるのであり、放松しやすければ入静もしやすいのである。
(3)松の体得
松に対する体得を絶対化してはならない。各種の「松」の体得までには、一定の鍛錬過程が必要である。一般的には、一定期間放松の鍛錬を行えば、それぞれ異なる「松」の感覚が現れるので、無理に求めたり主観的に求めたりすることは必要ない。
(4)「松」ができない原因
①情緒不安定で、十分な準備がなされていない。
②ある種の「松」の感覚を偏って追求するあまり、緊張してしまう。
③局部の疾患がある部位は放松しにくい。
④とる姿勢との関係。
(5)放松できなければどうするか
①功夫は鍛錬を積み重ねる過程であり、一定の時間をかければ、自然に体得できるものである。そのため、自然に従い、執着して無理に一つの功の中である種の放松を求めてはならない。
②放松は手段であり、目的ではない。
もし放松が体得できなければ、思いあたる原因を取り除くほか、以下の措置をとる。
・放松できない部位に、静功前の準備運動で、自己按摩、迫撃などの方法を多めに行う。
・練功中、息を吐き出すときに、該当部位の「松」を黙想してもよく、また、手で軽く放松しない部位を押さえて放松を進めてもよい。
(6)放松の練功中の注意
放松を練習するとき、緊張を避けようとかえって現れる緊張現象に、注意を払わなければならない。たとえば、用意が重過ぎたり、細小部位を放松するのに無理に注意を払ったり、あるいは無理に止息点で息を止める時間を長引かせたりすると、眉間が腫れぼったくなるなど副作用が生じる。もしこのような状況が現れたら、以下の方法で解除する。
①全身の放松のみを行う。
②軽く目を閉じ、口を開けてゆっくり息を吐く。
③動功中の拍頭(頭を軽く叩く)、摩額(額を按摩する)を行うか、頭頂、太陽、両耳、耳の後ろ、頬などの頭部顔面部を按摩する。
④目の運動を行う。
⑤足の拇指を意守する。

2024年4月
« 3月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930