西野皓三│ 一がすべて

一がすべてで、すべてが一
最近、あたかも右脳や左脳の機能的な働きが、人間そのものを決定するかのように言われているふしがあります。
人間の身体は、受精卵という一つの細胞が、徐々に分化していき、それが臓器や脳のように複雑で高度な器官になることで作り上げられています。
脳細胞は、卵細胞が分化を繰り返していく過程で、脳を作る役割を分担させられた細胞だと言えます。
脳は確かに、スーパー・コンピュータとも言うべき驚異的な機能を有していますが、脳細胞自体は、右脳であれ、左脳であれ、その脳の機能を便宜状果たしているだけなのです。右脳や左脳の機能そのものが人間を決定するというのは、言い過ぎということになります。
オースチンの右脳の細胞が、左脳の機能としての役割を果たしたということは、あらゆる細胞は、もとは一つの細胞が分化したものであり、どの細胞も潜在的には、すべての身体の能力を持っているということに通じます。
私は西野流呼吸法を発見してからこれまで、人間の身体は「一つがすべてで、すべてが一だ」と言ってきたのですが、このオースチン・ランズリーのケースは、その意味で「我が意を得たり」という感じを抱きました。オースチンは人間の細胞知・身体知の驚異的な能力を実証したのだと言えるでしょう。
脳が生み出す頭脳知と、細胞の中に秘められた身体知…この二つで人間は、生命体として生き、人間としての営みを行っているのです。