西野皓三│医大生からバレエ②

医大生からバレエ研究生に②
私はディアギレフの本に出合わなかったら、私は音楽をやっていたかもしれません。
奥田君は医学部の教授でありながら、コントラバスの名手になりましたが、私はディアギレフに強烈な影響を受けて、何としてもバレエをやりたいと思ったのです。
その頃、宝塚劇団創設者の小林一三氏が、日本に本格的なオペラ・バレエ団を作りたいということで、宝塚歌劇団の男子研究生を募集していました。大学在学中の新卒予定者が対象で全国から800人の応募があり、合格できたのはわずか3人でした。幸い、その中に私は入っていたのです。
当時の日本では「男らしさ」ということが貴ばれていました。実際“男子厨房に入るべからず”とか“男女7歳にして席を同じうせず”
といった、今考えれば信じられないような古いモラルがまかり通っていたのです。
そのような時代に、バレエプロデューサーを目指し、宝塚歌劇団の研究生になるというのですから、親類をはじめとする周囲からの猛反対に直面したのは言うまでもありません。私は医大生で、未来が約束されていた身だったわけですから、なおさらです。
フランスやイギリス、アメリカ、ロシアでは、男子がバレエ芸術家になることは文化を担う貴重な存在として認められることであり、たいへん名誉なことです。
フランスでは、パリ・オペラ座の芸術監督は17世紀以来、その言動がいちいち注目されるほど社会的にも大変な地位を占めます。評判だったバレエ界のトップに立つ男性は、まさにその時代の寵児として扱われているのです。
ところが当時の日本では、「バレエは女のやるもの」という観念が“常識”だったのです。この文化の違いは決定的ともいえましょう。
私は周囲が何と言おうと、バレエ芸術家になる決心をしていましたので、大学を休学し宝塚歌劇団に入団しました。

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