西野皓三│客観性という神話

客観性という神話
科学および哲学というオーソドックスな知の領域にあって、早くから身体の重要性に注目していた人にマイケル・ボランニーがいます。
ハンガリー生まれの医学者ボランニーは、イギリスに渡り、マンチェスター大学で55歳まで物理化学の教授を務めましたが、晩年、科学哲学や科学社会学において優れた洞察を持つ独自の探求を発表しました。
ボランニーの名声を高めたのは彼の主著である『個人的知識 Personal knowledge』という書物でした。
一般に近代科学の目的は、厳密に主観性を排し、客観的な知識を確立することだとされています。しかし、ボランニーは客観性という、科学の打ち出した「神話」に根本的な疑問を呈し、「知識から個人的(personal)な要素を除くという理想は、実際にはすべての知識の破滅に通じる、有害きわまるものだ」と主張しました。
若くして物理化学という実験科学の領域で優れた業績を上げたボランニーにとって、科学的認識とは、まさしく、“個人的認識”(Personal knowledge)に他ならなかったのです。
ボランニーの言うpersonalとは、客観的に対する主観的という意味ではありません。真理(知識)の探求者が対象に対し、主体的に能動的な関わりを持つということなのです。こうした態度は、けっして科学の目指す客観性や普遍性を否定するものではありません。
主体的・能動的に動くことによって、初めて人間は知識を得ることができるのですが、そこでの基盤になっているのは、後に“暗黙知”(Tacit knowing)として展開されるボランニー独自の身体観です。
「知る」ということは、人間がそれぞれ身体を通じて獲得することであり、真理(普遍的な知識)は、そうした主体的な知的営為の延長線上にのみ初めて現われてくる、とボランニーは主張します。
ボランニーは「知を生み出す身体」についてこう述べています。
知的であろうと実践的であろうと、外界についての我々のすべての知識にとって、その究極的な装置は我々の身体である。我々が目覚めているとき、外界の事物に注目するためにはいつも我々は、その外界の事物と我々の身体との接触について我々がもっている感知に依拠している。(中略)我々が自分の身体を外界の事物としてではなく、我々の身体として感じるのは、このように我々の身体を知的な活動の装置として用いることによるのである。(『暗黒知の次元』紀伊国屋書店)

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