西野皓三│生命の叡智

共存共栄こそ、生命の叡智
本能の強さは、時として狂暴さとなって表われます。しかし、生命の根本原理は「何としてでも自分あるいは自分の属する種が生き残る」ということなのです。
ホモサピエンスとしての人間が、どんな知的な社会を構築し、どんな高級な哲学を持っていても、人間が生物である以上、それらすべてのことは、この「自分が生き残りたい」という本能の大原則の上に乗っているのです。
本能は生物を生かしている大本の原動力であり、生命エネルギーのエッセンスです。生きている人間は本能を肯定する以外にありません。
細胞レベルで生きることに快感を感じている、つまり、本能が発揮されているからこそ、私たちは生存していられるのです。
言うまでもなく、ホモサピエンスである人間にとって、その最善の、尊厳ある生き方とは「共存する」ことです。自分が生き残るためには、同時に他人も生き残れなくてはならないのです。
自分がよりよく生きつづけていくには他人が必要であり、他人との切磋琢磨を通じての競争が自分をより高めていくのだということを、人間は本能として、細胞レベルの身体知で知っているのです。
国が栄えるためにも、一国だけの独裁国家になるより、複数の国家が競い合い、共存したほうが望ましいということは歴史が教えるところですが、生命エネルギーが不足したり、頭脳知の安易さに左右されたりすると、かならずしも最善の生き方が表われるとは限りません。こおれもまた冷厳なる事実です。
問題は、自らの本能をいかに「共存共栄」という本来の自然の摂理に則った方向で伽すまませていくか、そして洗練させていくかということなのです。このプロセスを実現するには、身体が全面的に参加しなくてはなりません。頭だけで考えると、脳の作り出す欲望と身体の持つ本能の区別がつかなくなる恐れがあるのです。
「角を矯めて、牛を殺す」という言葉が示すように、本能そのものを悪として抑圧することは、本能を矯めることに繋がり、それは自らを滅ぼすことに繋がります、自らの本能をいかに大きなスケールで、知として育てていくかが問題なのです。

2020年8月
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