古歩道│アリナミン①

最初の脚気治療薬だった「アリナミン」①
医療ギルドが、明治期の日本医学界をいかに支配してきたか。文字通り、日本医学界自体が「奴隷」そのものだった、そう断言してもいい。
先に日本の医学者たちはノーベル賞級の研究成果をあげてきたと書いた。だが、誰ひとりとしてノーベル生理学・医学賞は受賞できなかった。
血清療法という破傷風の治療法を確立した北里柴三郎は、第1回ノーベル医学賞の有力候補となったが、受賞したのは、北里の研究を、そのままジフテリア病で応用したエミール・アドルフ・ベーリングだった。ベーリングは、ベルリンの陸軍医科大学校卒業後、コッホ研究所に所属したエース研究者である。同様に、梅毒の特効薬を開発した秦佐八郎の成果は、同じくパウル・エールリヒに共同研究の形で「献上」されることになる。これでエールリヒは、1908年、ノーベル生理学・医学賞を受賞する。
さらにすごい話がある。
まったく進まぬ脚気治療に業を煮やした一人の日本人学者がいた。その名を鈴木梅太郎という。帝国大学農科大学(現東京大学農学部)の研究者だった鈴木は、白米だけ与えた鶏が脚気になり、玄米だとならないことに注目。米糠から「脚気の治療薬」を抽出できると考え、1910年、ついに高濃度の脚気治療有効成分を取り出すことに成功した。鈴木梅太郎は、これを「オリザニン」と名づけた。現代でいうビタミンB1の発見である。