言霊百神|創造意志(子音)③

人類の言語の原則である布斗麻邇の五十音はこの原則を把持し、この原則によって生み出される。そして同時に五十音そもそもが生命の知性の基本である原理原則の自己表現となる。真理の把握表現方法としてこれ以上に正確にして簡潔なものはない。概念を以てする哲学、象形を用いる文字、特に漢字、比喩等を以てする咒示象徴の方法を遥かに超絶した人類文明の最優秀の表現操作方法である。すなわち布斗麻邇は文明の究極であり、その淵源であり、原典である。オメガでありアルファである。斯うした生命の始原の創造的意志活動の原理消息を『古事記』は男女の結婚の様態に擬(なぞら)えて説いているのである。逆に男女の結婚の様態もまた此の基本の原理原律の具体的顕現の一つであるに他ならない。
ところで宇宙の理法である神に対する人間の態度が三つある。いつきの道と、とつきの道と、そしておろがむ態度である。前述の如くいつきは五作で、『古事記』「序文」に「二気の正しきに乗じ、五行の序を斉(ととの)へたまう。」とあるところのものである。とつきは十音を運用して文明を創造し経営して行く道である。第三のおろがむ(拝む)とは愚かな者が神に対する態度である。神道は元来生命の原理である神に斎いで嫁を行う道である。神や仏を客体として対象としておろがむ態度は幼稚な魂を教育指導するために仏教やキリスト教が用いた方便であって、その後日本でも神社神道が興って仏教のやり方を真似て民衆に臨んだ。覚者の文明指導運営の道である古神道には神におろがむ態度は存しない。