言霊百神│創造の失敗⑤

汝は右より廻り逢へ
ミギリは見切りの義で、女陰の形、母音のことである。伊邪那美命は母音として創造に参与せよと云う意味。

我は左より廻り逢はむ
ヒタリは肥垂りの義で、男根の形、父韻のことである。伊邪那岐命は父韻として創造に従事すると云う意味。

絶対観からするならば実在アオウエ(イ)は万有存在の基本である物それ自体であり、その姿は空相であって、現象以前のものである。識は霊性の発現であって、実相は生きている人間の霊性知性の活(はた)らきによってのみ顕現する。精神の働きがあるから現象が現れるのであって、死んだ人間の前に現象はない。死んだらその人の前面から実相は消える。森羅万象は生きた人類が居てその意識知性が活(はた)らいている限りに於て顕現するもである。その識と実在、父韻と母音の結合によって現象が生まれるのである。
相対的に観れば伊邪那岐命(アオウエイ)は主体であり心である。伊邪那美命(ワヲウヱヰ)は客体であり物である。物に成り合わざる所がなければ創造の対象にはならない。また心に成り余れるところがなければ創造の意欲は発現しない。三十二相、円満具足の美人には言い寄る隙がない。四十八願成就の阿弥陀如来に対してはただ讃嘆随喜(さんたんずいき)あるのみで、批判の余地はない。
主客双方が正覚成就の仏陀である時も円満調和の運行が恒常に行われるのみで、新たな創造は行われない。欠くる所があり余る所があって動きが起こる。右(見切)は神漏美(かむろみ)であり、消極、受動である。左(肥垂)は神漏岐(かむろぎ)であり、積極、能動である。相対的に観れば主客すなわち母音と半母音の交流によって現象が生まれるのである。

2024年4月
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