言霊百神│いろは歌(随想)①

いろは歌に就いて蛇足を添えよう。仏教は釈迦の創始に係わる印度の宗教、儒教は孔子の創始に係わる中華の哲理、キリスト教はイエスの創始に係わるユダヤの宗教であると考えて、其処を出発点とする歴史の途中からの思想に拘泥していると、本講の背景である人類の真実の文明史の意義が却って逆説に見えて、仏陀入涅槃、正像末三千年等の意義を正当に理解することが出来ない。
元来釈迦は人間性の全局である阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を世界に開示教伝するために出現したのではない。釈迦は鵜草葦不合朝末葉(うがやふきあえずちょうまつよう)の神心伝物部建天皇(かんこころつとふものべたてすめらみこと)の御宇(ぎょう)、来朝留学して神道の教伝を受け、天皇の勅を蒙って故国に帰り、その説いた仏教の三菩提すなわち神道の「三貴子」、三種の神器の爾後三千年間世界から隠没(おんぼつ)することを説くために、すなわち仏教の所謂「白法(びゃくほう)」であり「言辞の相」である「言の葉の誠の道」、「麻邇の道」が隠没することを宣言するために、換言すればその原理に通じた仏陀神人が入涅槃の眠りに入ることを説くため活動した人である。

2024年4月
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