言霊百神│子音の意義①

伊邪那岐美二神が母音を先にして、隠れた実在のみに拘泥して生んだ水蛭子(ひるこ)の態度では文明の創造はできない。それは永劫の末法者の態度であって、創造の主体としての自主性を発揮しないのであるから、「南無阿弥陀仏」と念じながら常に「因果の中に没在して出離の機なく」、「あなたまかせ」で、「風のまにまに、流れのまにまに」漂うているだけである。『阿弥陀経』は釈尊が韋提希夫人と云う女人のために説いた教えである。女人の世界は母音のみの世界であり、母音の世界は末法の世界である。
そこでその「女人先言」を宣(の)り直して、改めて父韻を先にし、母音を後に宣ることによって正しい子音を産む業を改めて天津神から指示された。先天を活用発揮する上に於ける天律を悟ったと云うことである。然らば子音を産むという事は如何なることを云うのか、子音は実相であるからもう少し実相の意義に就いて筆を進めよう。
繰り返すようだが吾すなわちアオウエイ、主体があるから、我すなわちワヲウヱヰ、客体があり、逆にまた我(汝)があるから吾がある。更に吾がなければ汝はなく、汝がなければ吾もない。このアオウエイ(岐)とワヲウヱヰ(美)はその初めは会っても呼び交わすことのない知らぬ他人同志であるが、いずれも共に宇宙の実在であって、これを両儀と云う。

2024年4月
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