この「空」の中から空自体の内容である先天(岐美二神)の活動によって、疑う余地のない清新にして厳然たる実相事実が現前する。然しこの時よくよく考えれば、その時改めて当面した新しい、溌剌とした事実は、実は嘗て迷いとして捨て去った夢そのものであることが顧みられる。嘗ては薄ぼけた夢であり、無意味な迷いや夢と思われた物事が何処から由来するか、その原因と契機が明らかになるからであって、この事を仏教で「煩悩即菩提」と云い、キリスト教で「罪の子即神の子」と云う。
イエス・キリストとイスカリオテのユダとは実は人間性の表裏、迷悟の両面である。チルチルが仙女のベリリューヌから貰った帽子のダイアモンドをまわすと物事の真実の姿があらわれる。「廬山は烟雨、浙江は潮」と云う蘇東坡の偈は此の間の迷悟の認識の次元的変化を直截に物語っている。
言霊百神│子音の意義⑨
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