五十音の音としての整理が終わったから、次に愈々その音を組織し操作することによって宇宙の道理を表現し運営して行く方法が明らかにされる。今迄述べた所は言霊の発現と、その整理に就いてであったが、これからの操作によって初めて言霊が宇宙と人間の道理としての意義を発揮するのである。
ここ(是)に伊邪那岐命(、)御佩かせる十拳剣(とつかつるぎ)を抜きて
初めてここで剣と云う言葉が出て来る。「天沼矛」のところで説いた通り剣は太刀であって、たちは断(たち)である。物事を知性を以て断ち斬ることによってその性(質)が顕われて来る。その断ち斬られた片々を再び真釣り合わせることによって元の全体が内容ある知識として改めて如実に自覚される。たちは分析、つるぎ(釣る気)は総合であり、この分析、判断、総合を行う主体が統覚である。「両頭倶に截断すれば一剣天に倚って寒(すさま)じ」(『槐安国語』)と云う禅語は判断を収める統覚に帰った姿である。十拳剣は十数を以て物事を裁断、判断することである。