言霊百神│境涯と言語⑪

神社神道に於て紙や布を幾何学的な形、電光の形に切って飾って幣と称するのはこの事の咒示である。また紙幣(通貨)のことを同じくにぎてと云うことは、人間の労働の所産である価値を紙幣が掌握し、総合代表しているからである。また神前に供える種々の生産物をみてぐら(饌)と云うのも同じく勤労の総合結晶であるからである。
御手繰の他の一面は闇御津羽であって、繰って御稜威(みいづ)を、生命の知性の権威を鳥の羽の様に現わし拡げることで、その操作は闇淤加美とは反対に、握った指を一二三四…と次々に起こして行くことである。この事を起き手と云う。握ぎ手と云う。握ぎ手として宇宙の法則とエネルギーを握り、結び、収めて、それを自覚して把持しているだけでは死蔵である。これを時処位に応じて順々に活かして行く上で初めて御稜威(価値)が実際に発揮される。起き手はすなわち掟である。掌握された生命の原理を第一条、人を殺す勿れ。第二条、姦淫する勿れ。第三条、偽はる勿れ。…と律法として現わして社会の規範とすることである。この実際の軌範の運用によって社会が経営される。

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