言霊百神│黄泉国⑳

亦(、)そ(其)の右の御鬘(御みづら)に刺(さ)せる湯津爪(津間)櫛を引き闕きて(、)
投げ棄てたまへば、乃ち笋生りき、
こ(是)れを引き抜き食む間に、逃げ行でましき
前述の左の御鬘の爪櫛の男柱はアオウエイであるから、右の御鬘のそれは雌柱ワヲウヱヰである。ア行は初めであり、ワ行は終わりである。ワ行は客観的な知性であると共に、ア行の主観的な霊性の発露が自覚されて知識となった状態であり、ワ行は全体の和であり総合であり結論であるから、そのワ行を投げ与えたと云うことは結局五十音の全体を提供したと云うことになる。
黄泉国の人々は昔から高天原日本の道をひたすらに知りたがっている。伏羲、老子、孔子、釈迦、キリストの来朝留学もそうした事のあらわれであったと云うことが出来る。この渇仰は伊邪那美命の経営に係わる科学文明の完成期が近づいた今日いよいよ激烈である。文明の淵源は高天原の日本であることを人類は忘れていても、潜在意識が知って居り、また文明の結論は日本に還らなければ見出し得ないことを世界の宗教書が黙示し暗示し預言しているからである。