言霊百神│禊祓(三)⑪

こ(此)の二神は、か(其)の穢き繁き国(繁国)に到りましし時の、汚垢に(因)よりて(、)成りませる神のなり(也)
人間が神の子であり万物の霊長である所以はその独特の三つの知性を運用することにある。ア言霊は惰性であって、阿波岐原の上瀬の心である。イ言霊は意志内容であって、阿波岐原の下瀬である。前者は有りのままの自由なもの、後者は本来の自然のものである。もとより二つとも生命の本質であり、その顕現であるには相違ないが、然しそれだけではまだ天と地だけで、天(ア)に寂光(愛)、地(イ)に布斗麻邇(種智)と云っても、まだ人が定まらない。天は流動、地は規範、そして人は文明の創造者である。黄泉国にもこのアとイは始原の混沌の形で存している。斯うしたわけでこのアとイとを汚垢(気枯れ)と云い禍津日と云う。すべて感情と意欲だけで行動して知性の指導を欠くことが文明世界の悪である。黄泉国の思想は「三歳(みとせ)にして足猶立たず」と云われる。「天地人」(アイウ)三才の思想のことである。それにはエとオが欠除されている。

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