スタッフブログ

言霊百神│絶妻の誓①

最後(いやはて)に(、)そ(其)の妹伊邪那美命、身自ら追い来ましき 伊邪那美命は既に黄泉国の主催者黄泉津大神になっている。それは黄泉国の神々すなわちその原理の研究総覧者であって、その歴史的思想的内容はその後、須佐之男命、…

言霊百神│黄泉国㉚

『古事記』は昔のことを云っているのではなく、恒常の「中今」を説いている。「桃子三つ」の権威を世界に示す時は常に今であり、特に現代の今日に於てである。『古事記』は人類の第一文明である精神原理の把持保存継承に任じて来た日本人…

言霊百神│黄泉国㉙

伊邪那岐命は追い詰められた揚句、この三つの麻邇の範疇、すなわち百(桃)の言霊の稜威を示したところ、黄泉国の思想的軍勢は此処にはじめてその道理の素晴らしさに驚いて悉く逃げ帰った。 ここ(爾)に伊邪那岐命、桃子に告りたまはく…

言霊百神│黄泉国㉘

そ(其)の坂本なる 桃子(を)三つ(箇)と(取)りて(、) 待ち撃ちたまひしかば、悉に逃げ返りき 黄泉比良坂の坂本はそこが黄泉国の文化の無自覚の起点出発点であり、同時にそこが高天原の文明の限界境界であり結論終点である。「…

言霊百神│黄泉国㉗

猶(、)追いて(、)黄泉比良坂の坂本に到る時に 伊邪那岐命はこのように追われながら懸命に黄泉国の言語、文字、学問を研究した。そして最後に黄泉比良坂の坂本に到達した。比良は比礼であって、前述した如く文字のことであり、またそ…

言霊百神│黄泉国㉖

以上の様な思惟の運用を宗教上の魂の遍歴修行の過程として考えることもまた一応意義のある事である。十拳剣を後手に振ることはすなわち哲学的な否定すなわち禅の所謂「無字」の拈提でもあって、儒教、キリスト教にあってはこの事を反省と…

言霊百神│黄泉国㉕

「一二三四五六七八九十」の道は演繹の道であって、これは宇宙全体を一者と把握した先天の始原から出発して来る道で、これを高御産巣日の道と云う。これに対して「十九八七六五四三二一」の順序の道が万有から逆に一者に至る帰納の道で、…

言霊百神│黄泉国㉔

かれ(爾、)御佩かせる十拳剣を抜きて、後手に振(ふ)きつつ逃げ来ませるを 事物の全体を十と規定することは布斗麻邇に則った人間の判断法の原則であり、本具の先天性の一つである。追撃された伊邪那岐命は十拳剣を抜いて、後手に降り…

言霊百神│黄泉国㉓

だがこの万軍のエホバの席巻を言向け和わすことが出来る道が世界にたった一つ存する。エホバ自身も須佐之男命と天照大御神の「天の誓ひ」と云う神と神との間の契約としてエホバの道に生命あらしめる道の出現を予定し期待している。その道…

言霊百神│黄泉国㉒

『古事記』「神代巻」は歴史ではなくして、原理の神話的記述であって、「今」のことを説いている。常に今の事を説いているのであるから、この故にこれを一面預言と見ることも出来る。高天原の国は原理としての日本国体であり、伊邪那岐命…